アメリカンコッカースパニエルちゃんが虹の橋を渡りました お別れ体験記 ~柚のあね様の場合~
和歌山県にお住まいの柚のあね様よりお寄せいただいた
アメリカンコッカースパニエルちゃんとのお別れ体験記です。
2021年12月2日 午前5時、
人生の半分以上一緒に過ごしてきた愛犬、
柚は息を引き取りました。
12月7日で15歳と6ヶ月でした。
柚は、2006年の9月25日に、我が家にやってきました。
半年ほど、従兄弟に妹が生まれたため、
柚と同じ犬種のわんちゃんを従兄弟の元へと返し、
寂しく思っていた一人っ子の私に、両親が犬を迎えようと提案してくれました。
新しく家族を迎えるにあたり、当時はペットショップを回りました。
そこで、売れ残りだった柚を見つけました。
店員さんに抱っこさせてもらうと、
柚が安心したように肩に頭を預けてきました。
柚は、滅多に愛想を振り向かないらしく、
店員さんも驚いていました。
そして、私たち家族は、その姿に一目惚れでした。
毎日柚の元に通い続けた3日目の夕方、
未だペットショップに居続けた柚に
『御縁』があると感じ、私の妹になりました。
会った当初は、猫を被っており、とても大人しい柚でしたが、
家に来ると走り回る、飛び回る、
挙句には、ケージから脱走する(笑)。
蓋がないケージを使用していましたので、
100均の柵を買って蓋を作ったのですが、それすら破壊していました。
父も私も、ケージに入った柚がきゅんきゅんと鳴いたとき、
かわいそうとケージを開けて甘やかしたこともありました。
それ以降、最期の時まで柚がケージを使うことはありませんでした。
柚は、6畳の私の部屋で自由に暮らしていました。
柚は、コードや柱も噛まず、床も掘らないとても賢い子でした。
柚は、7歳の時に緑内障と白内障を発症しました。
それまで通っていた医師はドライアイと診断していたので、
セカンドオピニオンの病院で気づいた時には、すでに失明しておりました。
ドライアイのため、義眼挿入が出来ず、
内服と点眼の治療をそれ以降8年間続けました。
内服薬は、当時、副作用が強いため、
腎不全の心配がありましたが、柚は消化器が滅法強かったので杞憂でした。
食べるのが好きで、肥満体質ではありましたが、
それ以降大病もせず、今年(2021年)の6月7日に15歳の誕生日を迎えることが出来ました。
1ホールのケーキを嬉しそうに食べている姿を今でも覚えています。
柚は、老化と共に足腰が弱くなったり、眠ることが多くなったりしました。
15歳を迎えてすぐ、ご飯を食べず、スプーンでお口に運んだり、
また痙攣し失禁して倒れたりと心配な日々を過ごしたこともありました。
しかし、ここ最近は、よく食べ、よく歩き、よく眠り、
よく排便・排尿をする健康そのものでした。
頻尿になり、3月からおむつ生活でしたが、その姿も可愛いものでした。
私の日課は、朝晩の投薬とご飯の準備、週一の入浴介助、そして散歩。
柚は足腰が衰えてから、散歩に出るのが億劫になり、
「行きたい時しか歩かない」と頑固な妹でした。
本当にお家が大好きな子でした。
亡くなる前日の12月1日、朝からご飯を残しました
(チュールしか食べずカリカリを残しました)。
しかし、よくあることだと気にしませんでした。
私は21時30分頃帰宅し、いつものようにご飯をあげました。
この時もチュールしか食べず、カリカリを残し、
いつものようにおやつのおねだりを柚はしていました。
母に聞いたところ、ご飯を食べる前に、モリモリのうんちをし、
いつも通り入ってはいけない部屋に入ろうと突進をしていたそうです。
しかし、いつもとは異なり、一度注意しただけで、突進をやめたそうです。
ただ、元気そのものでした。
異変に気づいたのは、23時30分頃、
寝る前にオムツを替えようと確認すると、少し匂いのきつい軟便をしていました。
そして、その後、今まで聞いたことのないえづく音が聞こえました。
いつもと吐く前の音が違いました。
まるで悲鳴を上げるような。吐きたくても吐けない、そのような感じでした。
しばらく様子を見ると落ち着いたのか、
自分の寝床に歩き、すやすやと爆睡しはじめました。
今思うとこの時夜間救急に連れて行けばと後悔しています。
トイレに起きた2時頃でしょうか、ちょうどその時、柚も起きました。
そしてしばらくしてから、先ほどの空嘔吐が始まりました。
しばらく様子を見ても一向に落ち着きません。
私の母も起きてきました。
苦しいのか歩き回る柚のお腹はいつも以上に膨らみました。
そしてボールの様にカチコチになりました。
翌日も研究室があるので、母が代わりについているから休みなさいと促されました。
朝3時30頃、母が「朝までもたないかも知れないから」と母が起こしてくれました。
そこには、目に生気がなく、クッションに横たわる柚がいました。
「柚、柚、柚ちゃん」と撫でると、柚の目に生気が戻りました。
そしていつもの様に、私の手を、顎の下に促し、すやすやと寝始めました。
その姿に母親も驚きました。
しばらく手を顎の下に置いていたら、いつもの豚鼻音が聞こえ爆睡しました。
これは、朝一で病院に間に合うかも知れないと、
再び母が様子を見ることになりました。
そして、朝4時50分頃、大きな音で臭いオナラを2発出しました。
「くさいなー」と言いながら母が確認すると、気持ちよさそうに寝ていました。
そしてそれから10分後の朝5時、柚は静かに息を引き取りました。
本当に一瞬目を離した時でした。
私は、すぐに抱き上げました。
母は、柚の胸に手を置き呼吸を確認しました。
そして、父と、12歳の妹を起こしに行きました。
柚が亡くなった前日、私の忙しい用事がひと段落したところでした。
あの時、もっと早く帰っていれば。もっと早く気づいていれば。
夜間救急に連れて行けば。もっと大好きと伝えていれば。
たくさん後悔はあります。
今でも毎日、柚を思い出しては涙が止まりません。
逢いたくて堪りません。
柚は亡くなった日のうちに火葬し、荼毘につきました。
骨壷は、家族みんなが見える私の部屋の入り口の
柚がいつもご飯を食べていた場所に棚を作り、置きました。
その日の晩、柚は、私の夢の中に出てきました。
私は、いつものように抱きしめ、いつものように撫でました。
柚もいつものようにもっと撫でてとおねだりしてくれました。
恐らく、柚は、私が落ち着くのを待っていてくれたのかもしれません。
すぐ病院に行けば、今日も生きられたかもしれません。
でも、管に繋がれて大好きな家に帰れず、安楽死の選択もあったかもしれません。
たらればを話すとキリがないですが、
最期の日まで柚が柚らしく過ごせていたことが、私たち家族の救いです。
柚と過ごした、15年は私にとって、かけがえのない宝物です。
とても幸せでした。
柚にとっても幸せな生涯であればいいな、と思っております。
もし叶うならば、虹の橋で会った時に聞いてみたいです。
今はまだ、後悔や喪失感で涙を流す毎日ですが、
いつか柚に逢える日を楽しみに頑張って前を向こうと思います。
「柚、柚ちゃん、ゆーちゃん、ゆっず、ゆじゅ、
ばいばいまたね、また逢おうね、大好きよ、また家族になろうね、本当に、本当に、大好きよ、ありがとう」
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