柴犬ちゃんが虹の橋を渡りました 死別体験記 ~GS様の場合~
東京都にお住まいのGS様よりお寄せいただいた
柴犬ちゃんとの死別体験記です。
ななは、我が家に来る前は、実家にいました。
時々父に頼まれて、ななのお世話をしていましたが、実家に行くとしっぽを振って全身で喜んでくれる、ななに会うのがとても楽しみでした。
暫くして、実家の父からななを手離したいと相談され、我が家に迎えることにしました。
最初のうち反対していた家族も、穏やかな性格で愛くるしい笑顔を向けてくれるななのことが、みんな大好きになりました。
ななを連れて家族で出かけるようにもなり、ななのおかげで、少し距離が出来ていた家族の間もいつの間にか良くなっていました。
ななも、私たちと出掛けるのが嬉しかったようで、笑顔の写真が出かけるたび増えました。
数年が経ち、ななに痴呆の症状が出るようになってから、徐々に食欲がなくなり痩せて体力が落ち、体調を崩すようになってきました。
自力で立つことも食事を取ることもできなくなってからは介護しながら病院へ通う日々が続きました。慣れない介護から疲れてしまった私を見てか、担当医に年を越すのは難しい、場合によっては、安楽死の選択もあると告げられました。
しかし、ななは寝たきりになっても頑張って生きようとしていました。普通の子は嫌がる薬もちゃんと頑張って飲んでくれていました。担当医からの言葉に動揺しましたが、大切な家族にその選択肢はあり得ませんでした。
体調は、一進一退でなかなか安定しませんでしたがなんとか持ち堪えて、ななと一緒のお正月を迎えることが出来ました。
ななは、私がお正月休みに入ってからはとても穏やかな表情を見せてくれるようになり、もしかしたらこのまま春も迎えられるんじゃないか… そんなことを考えてしまうほど、体調も安定していました。
しかし、6日後の夜、急にななの様子が一変しました。
突然、呼吸が荒くなり、眼振が再び出て来ました。
体勢を変えてあげたり、体を摩ってあげたりしましたが、呼吸が浅くなり、ななの瞳から光がなくなりました…。
その瞬間、旅立ったことを信じたくなかった私は、眠っただけなんだと暫くななを撫でていましたが、再び目を開けることはありませんでした。
ななは優しい子だったので、私が一緒にお正月迎えようね…と言っていた事をちゃんとわかっていて、そんな私のために頑張っていたのかもしれません。
お正月に着物を着て外出した日は、春のような日差しでした。
その日がななと出かけた最後の日となってしまいましたが、ななは嬉しそうに微笑んでいるような表情をしてくれていました。
ななちゃん
たくさんの笑顔をありがとう。
私たちに向けてくれるあなたの笑顔が大好きでした。
あなたとの思い出は、ずっと宝物です…
そっちに行くまで少しの間お別れだけど、
橋のたもとでお空組の子達と遊んで待っていてね…