猫ちゃんが虹の橋を渡りました お別れ体験記 ~穂花様の場合~
東京都にお住まいの穂花様よりお寄せいただいた
猫ちゃんとのお別れ体験記です。
“まこちゃん”こと愛猫の真生が、
僅か450日間の短いニャン生を閉じて数ヵ月。
本音の部分では全く心の傷みが癒えた気にはなっていません。
※こちらでご紹介いただきました
今でも時折思い出しては…
悲しくなって泣いてしまうこともしばしば。
「何もできなかった」という心残りも後悔もいっぱいです。
だけど、この頃…傷みや悲しみは癒えないまでも、
少なからず私自身の中で、
何かが変わってきたような手応えはあります。
嵐の夜に真生が姿を消してから一ヶ月。
もういよいよ「気持ちにけじめをつけなければ」。
そう思って、ディアペットさんに真生の仏具を注文し、
お品物が拙宅に届いた日の夕方…
奇しくも真生の所在が判明しました。
連絡を受けて…瀕死の真生が搬送された先に、
急いで父と駆け付けましたが、
残念ながら真生の死に目には会えませんでした。
障害を負う姿で2020年7月25日に生まれて、
生後420日目の2021年9月17日の台風の夜、
我が家の風呂場の窓から姿を消した真生。
生まれた時から闘病生活を強いられていた真生は、
自分の生命の予後を知っていたのでしょうか。
ただの一度も外に出たことなどなかった真生だったのに。
家出後…一ヶ月間近隣を放浪し、
それなりに楽しんだ様子のまま、
出先で真生は持病のてんかん重複発作に倒れ、
脳梗塞を起こした瀕死の状態で保護されました。
搬送先の都動物愛護センター多摩支所の獣医さん、
スタッフの皆様から、
献身的な治療を戴いた真生でしたが…
2020年10月19日の未明、
たった450日間の短いニャン生を閉じました。
でも…真生は搬送先できちんと治療や処置を受け、
いのちあるものの尊厳を最期まで守られたまま、
人間の愛に触れて、看取られて旅立っていきました。
関係者の皆様には真生のねぇねとして、
心からお礼申し上げます。
私と父が駆け付けた時、
既に息絶えていた真生はしかしきちんとエンゼルケアを施され、
私の本名を模したジャスミンの、
白い花を抱きしめて眠っていました。
獣医の先生による検案書によれば、真生の死因は、
生まれつきの難治性てんかんを起因とする、
脳梗塞とのことでしたが…
家出したニャン生最期の一ヶ月も真生は、
いろんな人に、それなりに愛されていた様子でした。
外見上は一ヶ月も放浪したような痕跡もなく、
出て行ったときの首輪を大切につけたままの、
本当に可愛いまこちゃんのままでした。
一緒に暮らしていた他の猫ともお別れの時間を持って、
真生を荼毘に付し、
富士山の見えるお墓に遺骨を納めた日の夕方。
五十代ながら、私は…
事前に受験していたある大学の合格通知を受け取りました。
合格した大学では哲学や宗教学を学んでいます。
真生に教えてもらった大切なことを誰かのために活かしたくて、
ホスピス等で働くパストラルワーカーやチャプレン、
精神対話士の資格を取得することが目下の目標です。
ただ。巧くいかないことも多くて。
老父も真生とのお別れの後に体調を崩したのですが…
父が回復した途端、ねぇねである私が今度は、
真生と同じ難治性てんかんで倒れ、そのまま脳梗塞を発症。
その時の私には「真生と痛みをシェアできたんだ」という思いで、
脳梗塞の苦痛すらも妙な幸福感がありました…
正直に言えば「このまま真生のもとに行っちゃいたいな」。
そんな…気持ちでした。
でも…それは赦されず、
私は今日も真生の分まで生きています。
イタリアでは猫をgatto libero=自由猫と呼ぶそうです。
昔からイタリアでは「猫は自由に居たい場所にいる」
=何人も他人の自由を奪ってはいけない、という意の、
諺としてもgatto libero という表現を使うそうです。
もし本当に“gatto libero”猫が自由であるなら…
いわゆる虹の橋の袂で真生が、
ねぇねこと私自身の事を待っていてくれる必要すらない、
とさえ…今は思うほどです。
真生への愛情も…悲しみも後悔の念も、
私の中では何ら変わりません。
でも、愛情が変わらないからこそ、
もう真生を自分の悲しみに縛り付けたりはせずに、
自由になって…猫としての幸せを追求してもらえたら。
そう希うようになりました。
もし“ねぇね”よりも真生のことを、
幸せにしてくださる方が見つかったなら…
前世の私との日常は全て忘れて、
新たに精一杯の幸福を満喫してほしいと願います。
もちろん、もし真生が突然現れて。
「ねぇねとのことが忘れられなかったから、
毛皮をお着換えしたけど…また戻ってきたよ」と言ったら、
私は今度こそ幸せにするねと答えて…
帰ってきた真生をしっかり抱きしめます。
真生が「ねぇねのことをずっと待っておくよ」と、
虹の袂にいてくれたなら…
幾ら時間が経過しても、
幾ら多くのお友達の猫ちゃんたちの中に、
真生がまぎれていたとしても…
私は大切な真生をきちんと見つけ出せる自信もあります。
だけど。もう真生はその短いニャン生で、
いっぱい私に愛を以て応え、
この世での務めを全て終えて旅立っていったのであれば…
これ以上私が「悲しいから」という理由だけで、
愛をいっぱいくれた真生を現世に縛り付け、
さらに来世での約束を彼に問うなんて、
単なるワガママにさえ思えてきたのです。
そのくらい…私は真生のねぇねとして、
彼に沢山のものを戴いたのだ。
そう感謝できるようになりつつあります。
巧くは言えないのですが…
こんな気持ちに至れてよかったと思っています。
ねぇねを“人間”として成長させてくれた、
真生への感謝の想いで胸がいっぱいです。
若しくは。真生は難病や重い障害を負った姿で、
この世に生を承けました。
子猫の時は単純に毎日楽しそうだった真生も、
大きくなるにつれ、他の猫には容易くできることが、
自分にはできないのだ…と理解しては、
悲しい表情をする場面が増えていきました。
そんな寂しそうな真生の顔を見るたびに…
(同じように障害のためにできないことだらけの私は)
とても切なくなりました。
たった450日間だったのかもしれないけれど…
障害のある真生はニャン生を精一杯生き抜いて、
やっと病気や障害のある肉体から自由になれたのだ。
とも言えるかもわかりません。
ここは各々の価値観にもよる部分なので、
一概には言えないとは思いますが…
自身が心身に重い障害を負っているので、敢えて。
「生前、悲しい想いをいっぱい感じざるを得なかった分、
まこちゃんには本当の意味でもう“自由”になってもらいたいな」
そう…ねぇねとして希うばかりの私です。
これらの感情を全て踏まえた上で。
決して悲しい記憶が癒える事はもうないと思いながらも、
それでも真生にはありがとうと深謝しています。
真生は存命のうちに、ねぇねとしての自分を、
全身全霊を掛けて愛してくれたと思います。
だから「もういいんだよ」と言ってあげたい。
もう本当の意味で“自由な猫”になって、
新たな幸せをGETしてくれたらな…
まこちゃん、幸せな時間をくれて本当にありがとう。
今は、言い尽くせぬ真生への感謝と共に、
そう強く思う私がいます。
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