プードル(タイニー)ちゃんが虹の橋を渡りました 死別体験記 ~SKさまの場合~
鹿児島県にお住まいのSK様よりお寄せいただいた
プードル(タイニー)ちゃんとの死別体験記です。
うちの子は生後2ヵ月の時、ブリーダーさんから我が家へ迎えました。忘れることはできない、とても暑い夏の日でした。
名前は「ぽぽ」
たんぽぽの綿毛のようにふわふわだった為、夫が名付けました。
うちに迎えてからすぐにトイレを覚え、「おしっこは?」と声をかけると自らトイレへ行き、ちゃんとそこで出来ていました。
ソファーの下がお気に入りの場所で、特技はかくれんぼ。
1キロくらいで手乗りサイズのぽぽでしたが、姉の家のワンちゃん(9キロ)にも物怖じせず、仲良く遊んでいました。
トリマーの友人にカットをしてもらい、近所の動物病院のパピーホールへ通う準備に、うちの夫は必死になっていました。
水皿と餌皿、バッグ、フード袋、連絡帳。ひとつひとつに嬉しそうに名前を書いていた夫の背中を今でも憶えています。
子どもが出来ない私達夫婦にとって、ぽぽはまさに我が子のようでした。
パピーホール初日、準備したものを持って夫婦で動物病院へ送り届けました。
するとその日の午後、動物病院からの電話でぽぽが心肺停止状態で蘇生を行っているとの連絡があり、慌ててぽぽの元へと向かいました。
ガラスの向こうに心肺蘇生をされているぽぽの姿が見えました。
院長先生に呼ばれパピーホールで少し大きなワンちゃんとぶつかり、ショック状態と説明を受けました。
電話では「少し目を離した隙にぶつかった」と言っていたのに、その場では「目を離してはいません」と支離滅裂な院長。
手術室に入り、ぽぽの側に行くと動物看護師が心肺蘇生を続けていました。
眠っているようなぽぽを見て夫が「ぽぽはもう死んでいるってことですか?」と尋ねると、院長は俯きながら「はい」と一言。
「じゃあもう心肺蘇生なんてパフォーマンスはいいです。これ以上痛い目にあわせないでください」と夫が言うと、看護師はすぐに手を離し、手術室にはピーという電子音だけが響いていました。
私は状況を受け止めきれず、涙が溢れて止まりませんでした。
夫は泣きながら「落としたんじゃないですか?本当に他の犬とぶつかったんですか?他の動物病院で死因を特定してもらってきてもいいですか?」と色々と院長に尋ねていましたが、「心肺蘇生を行なっているので肋骨などが折れていて死因は特定できないと思います。葬儀は明日こちら持ちでしますがよろしいですか?」と言われ、押し問答の末、ついに夫も脱力してしまいました。
ぽぽはパピーホールが初日だったこともあり、緊張でお昼ご飯も食べなかったようで、朝、袋に入れたフードはその時のまま返ってきました。その時の気持ちはなんとも言い難いものがありました。
家に帰り、もう動くことはないぽぽを抱き締めながら、スマホで撮った写真を夫婦で見ました。
たった27日しかうちにいなかったのに、179枚の写真や動画の数々。2ヵ月とちょっとの短くて小さな小さな命でした。
たくさん泣いて、その日の夜は私とぽぽと夫の川の字で初めて寝ました。
眠たいけれど寝てしまったらすぐに別れが来てしまう。そんな思いの中、夫は明け方まで頑張って起きていたようです。
翌日の葬儀は個別葬で、係の方に「こちらに置かれてください」と言われても、私はぽぽを抱いたまま泣き続け、離しませんでした。そんな私の腕から夫はそっとぽぽを抱きかかえ「また会えるから」と必死に涙を堪えながらぽぽを寝かせました。
しばらくすると火葬が終わり、骨を拾って骨壷に入れ、お坊さんにお経を唱えてもらい家へ帰りました。
今でもあの日のことを思い出すと涙が溢れて止まらなくなります。
お金で補償されても心は補償されることはありません。
ぽぽは唯一無二の存在でした。