柴犬ちゃんが虹の橋を渡りました 死別体験記 ~Y.N様の場合~
愛知県にお住まいのY.N様よりお寄せいただいた 柴犬ちゃんとの死別体験記です。
我が家の愛犬空(くう)ちゃんが旅立ったのは7月25日の夕方6時過ぎ、15歳と9ヵ月25日でした。 空ちゃんは2年半位前に脾臓の血腫の為に摘出手術(破裂の危険もあるため)をしましたが大復活を果たしました。 その後昨年の2月頃に急に倒れて痙攣し、病院で色々検査して肝臓の数値が悪く、
胆管が腫れてパンパンになっているのと、先天性の門脈シャントだったことがわかりました。
家族会議を何度か重ね、既に高齢な空ちゃんの麻酔等のリスクも考え、 手術はせずお薬でコントロールしていくことにしました。 この頃からご飯を自力で食べなくなり、シリンジでの強制給餌を始めました。
とはいえ、この頃はまだ、お散歩もおトイレも自分で出来ていました。 調子の良いときはお散歩で会うお友達にじゃれたりもしていました。 お薬の効果か、肝臓の数値も正常値にする事が出来、一時期安定しました。 空ちゃんが次に体調を崩したのは今年の5月のGW後からでした。 下痢が続き病院に行ってお薬や点滴をしても状態は悪化していきました。 だんだん形がなくなり、その後血便(ほぼ血液)になりました。 9.5キロをずっとキープしていた体重は一気に減り、 亡くなる前日に計った体重は6.4キロになってしまいました。 それでも、空ちゃんはトイレの度に起きようとし(最期の一週間は支えないと立てない)、 声を掛ければ顔を上げ、オムツ替えの時には立ってられないのに お尻を上げたままでいてくれようとしたり、親バカですが、律儀な子でした。 ご飯もずっとシリンジででしたが、なかなか受け付けなくなっても口に入れれば 亡くなる日のおひるまでは飲み込もうとしてくれました。 空ちゃんは、生きようと目一杯頑張ってくれたんだと思います。 空ちゃんが亡くなる日、私は昼過ぎから仕事に行きました。 体調は良くないので後ろ髪を引かれながらもまだ、 何とかお昼ご飯も食べてくれているから帰るまでは大丈夫だろうと思ってました。 でも、出勤して2時間後の休憩中、嫌な予感がして母にLINEしたんです。
その時はまだ空ちゃんは頑張っていました。でも、ずっとピーピー鳴いていたそうです。 いつもはそんなことはない子でした。 きっとこの頃にはもう空ちゃん自身は何か感じていて不安だったんだと思います。 この時に帰ってあげてればと今になって思います。 でも、その時の私は空ちゃんが頑張っていることに少し安心し仕事に戻ってしまいました。 そして、母とLINEしてから僅か30分後… 職場に連絡があり、私は飛んで帰りました。 (上司には事前に相談しており、その上司もペットを亡くされた経験もある方で その時は親族の不幸と言って帰って良いと言って頂いていました) 空ちゃんが肝臓を悪くしてから職場を家の近くに変えたので10分位で家に着きました。でも… 空ちゃんは母の腕の中で、父にも見守られながら息を引き取ってしまいました。間に合いませんでした。 私はちゃんと最期を看取ってあげたかったです。 でも、空ちゃんの性格や私との関係を考えた時、あの子は私に最期の苦しむところを見せたくなかったのではないかとも思います。 亡くなって2日後、家族全員で葬儀、火葬を行い、空ちゃんはお空に旅立ちました。 空ちゃんが亡くなって1ヵ月が過ぎ、まだとても寂しく、空ちゃんが居ないとつまらないです。 そして、空ちゃんが家族だけでなく沢山のお友達や飼い主さんに愛されていたことに改めて気づきました。 私にとって、親友のような妹のような存在だった空ちゃん。 一緒にいるのが当たり前になってて、空ちゃんに優しくない時もありました。 でも、やっぱり大好きで大切で特別な存在です。きっとこれはこの先もずっと変わりません。 今は、頑張り屋さんで健気な空ちゃんがうちの子になってくれたことに感謝しています。 沢山色んな所にも行ったり楽しい思い出もあります。本当に空ちゃんと過ごせて楽しかったです。 空ちゃんに今何か伝えるなら、ありがとう、大好きだよと伝えます。そして、また会えるまで、虹の橋のたもとでお友達と仲良く待っていてね。 ■皆さまのエピソードをお聞かせください■ 投稿は【こちら】から