ヨークシャーテリアちゃんが虹の橋を渡りました お別れ体験記 ~M.S様の場合~
東京都にお住まいのM.S様よりお寄せいただいた
ヨークシャーテリアちゃんとのお別れ体験記です。
ひな。14歳5ヶ月で昨年クリスマスに旅立ちました。
一昨年6月に一年に一度のアニマルドックで膀胱ガンがわかりました。
夫は単身赴任、私もフルタイムで仕事をしているので、
それまでひなは一人でお留守番の毎日。
ガンがわかってから私は上司に相談し、
ありがたいことに『吠えないなら連れてきていいよ』と了解を得て
翌日からひなとの同伴出勤が始まりました。
ひなは普段からほとんど吠えない人懐こい子でした。
瞬く間に職場のアイドルになりました。
お薬を飲ませながら過ごしていましたが、
昨年9月のある日、急変。
オシッコが出なくなってしまい、急遽病院へ。
検査の結果、ガンもさることながら腎不全を併発しているとのことで、
それから毎日、補液注射をすることになりました。
夫は単身赴任中ですので私一人で抱っこしながらの注射は出来ないので、
毎日仕事帰りに動物病院で補液注射をすることに。
病院の先生はじめスタッフの皆さんとも顔馴染みになり、
毎日必ずひなに『元気?』と声をかけて下さいました。
夫も毎週末には必ず赴任先から帰ってきてくれました。
そして、12月半ば。
今度はウンチが出なくなり検査をすると、
膀胱ガンが大きくなって直腸を押し上げてしまっていると。
とても苦しそうで夜鳴きが始まり、先生と相談してお薬が一つ増え、
最期の2週間ほどは私は毎晩抱っこしながら座って寝ていました。
実は、ひなは夫と私で安楽死を選択しました。
昨年9月から毎日補液注射を受けつつウンチが出なくなってしまった時、
お腹がはち切れんばかりに膨らんでしまったひなを診察しながら先生から
『そろそろ覚悟を決めて下さい。』と言われました。
『このまま、苦しむひなちゃんを最後まで見届けるか、
それとも静かに逝かせてあげるか。
お父さんとお母さんがどちらを選択しても尊重します。
どちらを選択しても、決してご自分たちを責めないで下さい。』と仰いました。
夫と私、話し合って、つらく悲しい決断をしました。
子どもたちにもそう決めたことを報告しました。
『残酷だと思うかもしれないけど、可愛いひなをこの苦しみから解放してあげたい』と。
それまでの経過を子どもたちにはしょっちゅうメールで知らせていたので
『パパとママがそう決めたのなら反対しないよ。ひなもわかってくれるよ。』と言ってくれました。
それからその日を迎えるまで私とひなは毎日一緒に会社に行き、
帰りには病院へ行き診察を受け、いつも通りの毎日だったけれど、
今まで以上にひなを抱きしめて、どれだけ泣いたか。
時間を止めることが出来たならどれだけいいだろうと思ったことか…。
その日はクリスマス。夫と私は朝から代わる代わるひなを抱っこして、
撫でて、キスして匂いを感じて…時間はいつも通りに流れ、夕方の外来診察後に病院へ行きました。
そして、毎日診察して下さった先生、夫と私が見守る中で
クリスマスの夜に静かに逝かせてあげることができました。
その日の夜、仕事を終えた娘が孫を連れてお別れに来てくれたのですが、
横たわっているひなに6才の孫が『ひなちゃん、寝てるの?』
娘『天国に行ったんだよ。』
孫『ひなちゃん、一人で行くの寂しいでしょう。ボクが途中までついて行ってあげようか。』
私と娘で『ダメ、ダメ、絶対ダメ』(泣き笑い)
翌日、娘と孫も一緒に斎場へ。
それから5日後に(斎場が混んでいたため)火葬しました。
お骨を拾う時、斎場の方が『ウンチが残っているんですよ。』と
丸く燃え残ったウンチを教えて下さいました。
えっ!?と思いながら、どれだけ苦しかっただろう、今は楽になったかなと思いました。
もっと早く病気のサインに気づいてあげていたらとか、
いろいろ考えると全く後悔がないとは言えません。
旅立ってからおよそ9ヶ月になりますが、
まだまだ泣いてばかりの毎日です。
ひなが使っていた物もそのままです。
でも、病気がわかってからの一年半、
毎日一緒に職場で過ごせたこと、
無理のない範囲でおでかけができたこと。
かけがえのない濃密な時間、たくさんの思い出を作りました。
ひな、心からありがとう。
今は虹の橋で元気になって走っているのかな。
そう想うと涙があふれます。
長くなりましたが、こうして書かせていただいたことで、
少しだけ気持ちの整理ができたような気がします。
ありがとうございました。
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