ペット仏壇・仏具の専門店として、2008年の創業以来、累計15万人以上のペット供養のお手伝いをしてきた「ディアペット」が、
ペットの火葬や葬儀、ペット供養、ペットロスなど、ペットの旅立ちにまつわることを、専門店ならではの視点でお伝えします。

ペット仏壇・仏具の専門店として、2008年の創業以来、累計15万人以上の供養のお手伝いをしてきた「ディアペット」が、火葬や葬儀、供養の仕方など、ペットの旅立ちにまつわることを、専門店ならではの視点でお伝えします。

猫ちゃんが虹の橋を渡りました お別れ体験記  ~あや様の場合~

ペット 死別体験記

長野県にお住まいのあや様よりお寄せいただいた
猫ちゃんとのお別れ体験記です。

私の娘との出会いは平成21年の梅雨の頃、雨が降り続く中濡れて泣いていました。主人と話し合い保護することを決め、わが家へと引き取りました。捨て猫だったようで近くに水とご飯が僅かに入った容器も有り、それを配って歩く子供も見かけました。

引き取ったは良いのですが、娘の性格はツンデレで、なかなか目の前で喜んではくれません。それでも気に入った遊びには乗ってくれ、段々と甘えてもくれるようになって、私たちにも気を許してくれました。

そんな中、もうひとりの猫を保護することになり、その子には食事やトイレの掃除という私たちにしか出来ないこと以外は、積極的に関わってくれる、賢い娘でもありました。今思うと、助かる存在であった事を思い出します。

それからやがて15年の歳月が過ぎ、吐くことが増えて食事量が段々と減っていき、気になったので病院で相談してみました。病院の先生からは「年齢の事もあるし、内臓の深い場所の病気でも同じような症状が出る事がある。膵臓や肝臓の病気を見つける検査もあるけど、今のこの子には厳しいと思うよ。それで、あなたはどうしたい?」というように尋かれ、私は「なるべく苦しまない方向で」と言ってました。

その日から私は娘に「最期の時はママとパパともう一人の娘のいる場所でね」と言い続けるようになりました。そして、自宅での介護が始まりました。食事がほとんど摂らなくなったので、様々な種類の総合栄養食を試しました。お気に召したのは離乳食の食事で、毎日5口から10口程度食べて、押入れに入る日々でした。

やがて押入れから出る事が難しくなり、主人の声掛けと娘の出たい気持ちが合ったのか、押入れから出す事ができ、それ以来押入れには入りませんでした。水分もお風呂の床からや経口補水液をちょびっと飲んで、それで十分と言っているようでした。

様子が変わったのは、病院を受診してから約10日後の事でした。主人が仕事から戻った後に大きな声で泣き叫び、お気に入りの場所から出られなくなって、主人に救出されました。その後は娘の指示するままに私たち夫婦は動き、娘はトイレの時以外は私のベッドで、私の腕を枕に乳房に顔を埋め両手で私の指を握って、時折来る痙攣に大声で耐えていました。

何度も来る痙攣の波のなか、瞳孔が開いて来たようなので、大声を上げて嫌がる娘の身体の向きを変えて、主人の指を握って貰った。しばらくした後、身体の外から心拍が数えられるような動きの中で、大きな息を吐き出したのち、小さな息を吐いて、娘は寿命を全うしました。20時53分でした。

この後、私は放心したまま娘を抱き続け、死に水を取ることも忘れていました。手足は痙攣した際に硬直したままで柔らかくならず、自然な状態に戻してあげることも出来ませんでした。仕方無くそのままダンボールにペットシートとお気に入りのバスタオルとタオルを敷いて横たえ、翌々日に火葬しました。その間、私はひたすら娘を抱き続けました。火葬の際の法話で、線香とロウソクについてお話を聴き、お祀りの方法についても伺って。翌日に100均で線香とロウソクと花瓶とお花を買って、ようやくホッとしました。

その後、DEARPETさんのHPに巡り合い、荼毘に伏すときの棺に後悔しました。バスケットに布団を敷いて休ませてあげたかった。冷却剤を使わずに抱きしめていた。お線香とロウソクにも素敵な物があった。香炉に蝋燭台も素敵な物があった。一歩か二歩だけど悔しさがあります。

更に私のドジだけど、月命日の御供えをド忘れしてました。ロウソクと線香は忘れなかったのに、何故?と思っています。

これが私から見た、娘の旅立ちです。

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